
先週の日曜、鴨江アートセンターで行われた「中田島砂丘を未来へつなげるシンポジウム」に記録係として参加してきました。
午前中には、登壇者と一緒に中田島砂丘を歩く事前イベントも開催。
シンポジウムの写真は納品済みで手元にないので、こちらを参考にされても。
はまぞう 佐野さん 【この町の未来は?】中田島砂丘は変わってしまうのか?
iN HAMAMATSU.COM 三井さん 中田島砂丘の未来を考える
率直に、参加者に多くの気付きを与え、行動を誘う熱量にあふれたシンポジウムでした。短い期間で、ここまで形にした松下さんはじめ、スタッフの行動力に脱帽です。
中田島砂丘を歩く
最近は砂丘に行く機会もあって、工事の進捗は何となくしってたつもりですが、こんなに大きく変化していて衝撃を受けました。
水だまりの幅は20mほどで、ここに高さ13mほどのCSG(砂礫などをセメントで固めたもの)の基礎ができ、そこに盛り土をして幅50m〜60mほどの防潮堤が完成します。
砂丘と海の景色がとてもきれいなだけに、荒々しい工事の姿に胸が痛みます
凧場のすぐ南側。松林がきれいさっぱり伐採されて、まるでゴルフ場ができるかのよう
中田島砂丘近辺の防潮堤は、こんな感じで作られます。先の写真は、ちょうど右端部分
浜松市民は遠足などで一度はいったことのある中田島砂丘ですが、砂丘以外は特に観光名所やお店も少なく、日常的に行くことは少ないかと思います。それだけに、今年の浜松祭りで今の中田島砂丘の景色にきっと驚くはず。でも、それくらい疎遠な関係になっているのが現状。
まずは一度、砂丘の現実を知るというのがとても大切だと感じました。
シンポジウムに参加して
まずもって勘違いして欲しくないのは、
このシンポジウムが、防潮堤反対の集会ではないということ。
中田島砂丘の「いま」について、知り、学び、話し合う場です。
青木伸一さん(大阪大学大学院 工学研究科 地球総合工学専攻 社会基盤工学部門 教授)からは、中田島砂丘の形成を科学的にレクチャーいただきました。
中田島砂丘はこの20年で200mも砂浜が減少。天竜川の上流にダムができたり、凧場ができて砂が移動しなくなったりなど、様々な理由。
清野聡子さん(九州大学大学院工学研究院環境社会部門准教授)による、東北の震災の復興計画や市民との関わりを教わりました。
冒険家で日本の沿岸を知り尽くした、鈴木克章さんによる、中田島砂丘が日本の中でいかに特別で、美しい場所かという話。
地元代表、海岸侵食災害を考える会代表、長谷川武さん。一番過激な話になるかと思いきや、中田島砂丘を題材にした市井の写真家の話。モノクロームの中田島砂丘が印象的でした。
表浜ネットワーク代表の田中雄二さんによる、砂浜の生態系システムの話(砂丘は砂漠でなく、多様な生態系を支えている)
など、各人の意見はありつつも、多角的に今の中田島砂丘を見る目を養うことができました。
海に近いところに住んでいるし、子どももいるし、防潮堤によって少しでも減災するのであれば(資料によれば浸水域から外れる)、防潮堤はあって欲しいです。でも、自然を大きく損ねて建設する以外、方法はなかったのかなーとも思います。
天竜川の氾濫によって多くの災害があったのを、治水や植林などでいまの落ち着いた天竜川になったように(ダムとか諸問題あるのはわかるけど)、技術と自然とのバランスの取りようはいくらでもあると思うのだけれど。
シンポジウムの気になる言葉をピックアップしておきます。
・景色が変わると、市民のメンタリティも変わる
暴れ天竜や空っ風、茫漠とした中田島砂丘など、厳しい自然環境によって浜松の「やらまいか精神」が生まれたのかもしれないと指摘。もし、中田島砂丘がなくなったとき、そこに住む人のメンタリティに影響をあたえるはず。そんな環境でそだった子どもたちに、同じような「やらまいかの精神」が育つかは分からない。地域のメンタリティは、そこの風土に多分に影響を受ける。(個人的に一番ショッキングな指摘でした)
・事前復興計画の策定
被災後、どのようなまちづくりをしていくか、事前に計画するもの。災害に備えることも大事だけど、おなじくらい、どう復興するかは大事で、それにそなえたまちづくり、関係づくりこそ大事。
・佐久間ダムはたった3年で完成
ひっ迫する電力需要のため、たった3年で作られたそう。排砂バイパスがない(?)ため、中田島砂丘減退の原因のひとつになる。佐久間ダムは急ぐことを最優先させ、環境のことを後回しにしてしまったが、短期間で防潮堤をつくろうとする今の状況が佐久間ダムの開発と重なる。
・ちゃんと民有地を所有する市民に声をかけてよ(地元の人)
民有地をさけるように築かれる防潮堤。煩わしいやりとりを避けたというのなら、市は誠心誠意、市民のために作らせて欲しいとぶつかってこいよと。コミュニケーションを避けて進めたことによって仕事で失敗したなーというのを思い出しました。
防潮堤を築いてもメンテナンスをしていくのは近隣市民というのは今の時代のスタンダード。そういった意味でも、しんどくても市民とコミュニケーションを取っていくのがとても重要。
ほかにもいろいろあるけど、またいつか。
1983年から数年間、中田島砂丘ではアーティストによる「浜松野外美術展」が行われていたという歴史も紹介されました。
中田島砂丘との関係を改めてつくる。
失われた価値を再発見し、提示する。
(題材は違えど、まさに、今している仕事そのもの)
今さらですが、防潮堤をきっかけに、中田島砂丘のことをもう一度しっかり考えるいい機会を得ることができました。
シンポジウムは継続的に行われるようです。
多くの人が中田島砂丘のことに目を向けてくれたらうれしいです。
中田島砂丘ネットワーク(Facebook)