
大杉晃弘 OSUGI, Akihiro
エディトリアルプランナー
略歴
1975年
浜松市に生まれる
1982年~1988年
小学校入学とともにサッカー少年団に入る。1つ上と1つ下の学年は県大会で優勝。
1988年~1991年
MSXとか、PC-88とかに興味を持つ。
1991年~1994年
西山台で高校生活。めがねからコンタクトに。
洋楽を聞きはじめ、もれなくMTVにはまる。
伊集院光にいれこんだのもこの時期。
1994年~
大学入学とともに、奈良でひとり暮らし。
原付にのって西日本中の遺跡を駆け巡る。
コーヒーにはまってミルやエスプレッソマシーンを購入。コーヒーゼリーもつくってみる。
発掘調査のバイト代でCONTAX G1を買い、写真を撮りはじめる。
Windows95に世間が色めきだつ中、Macintosh Performa 6310を購入。
ダイアルアップでインターネットにつなぐ。
ブラウザはNetscape、ニフティサーブのフォーラムが活発だった頃。
調子にのって、デジカメも購入(RICOH DC-3Z)。
撮影して、編集して、クラリスワークスで旅のしおりをつくる。
旅をしたり、Macやガジェットにはまったり、コーヒーと雑誌が好きだったり、今の生活に欠かせないものと出会った時代でした。
1999年~
浜松に帰って印刷会社で働く。印刷の基本的な知識はここで習いました。
2000年~
南港のアートスクールに行くために、大阪に引っ越し。
現代美術やデザイン、建築や写真のことから、お酒の呑み方まで、いろんなことを学ぶ。修了展では写真集を制作。京都西陣の町屋でもグループ展を行う。表現することの難しさと楽しさに気付く。人生ががたんとちがう路線に入ってしまいました。
2001年~
太陽の塔がある万博公園内に学校が移転。教務助手をしながら、デザインやメディアアートの展示&編集、科学番組制作などのお仕事をさせてもらう。
「第1回からほりまちアート」で写真展をしたり、音楽イベント「俺Fes」でDJしたり、Podcastを1年ほどしてみたのもこの時期。
お金は全然なかったけど、デザインやアートにどっぷり浸かり、多様な価値観の中で味わう知的興奮の魅力にはまりました。
2002年~
しばらく、ごきげんなインディー音楽にいれこむ。
オレンジズ、ははのきまぐれ、ANATAKIKOU、残像カフェ、初恋の嵐、キセル、航空電子、コモンビル、カンガルーノート、ビューティフルハミングバード、ロロロとか。
名古屋にある、abcdefg*recordにはまったのもこの頃。
2003年~
結婚情報誌の制作ディレクターに異動。
終電の毎日だったけど、広告のイロハを徹底的に学びました。
意外と同世代の男子が多く、仕事もプライベート(フットサルなど)も四六時中一緒に過ごす。
気の会う仲間と好きな仕事ができるという、すばらしい労働環境。
2007年~
転職。仕事内容は変わらないものの、慣れないマネージャー職について、関西と名古屋を行ったり来たり。
2008年~
結婚。新居を決める前に一目惚れしたダイニングテーブルを買うチャレンジングな夫婦。
新婚旅行は、北欧に行って散歩&写真というほっこりしたもの。
2009年
写真部を結成。街をぶらぶらして写真を撮って、撮影した写真を肴に呑むという大人の部活動。
ひょんなことから心斎橋のビルの屋上にある「afu」というキッチン付きギャラリー立ち上げのお手伝いをすることに。木材を運んだり、壁をぬったり、ウッドデッキをつくったり。こけらおとしに、写真部設立して半年で写真展をさせてもらう。
2010年
イベント撮影など、写真でお手伝いすることが多くなる。撮った写真が雑誌に掲載されることもしばしば。ほかにも、afuで写真教室をしたり、知人がしている大阪港の喫茶店「ハaハaハa」で個展も。
2011年
カメラピープルブックレーベル「恋人写真」掲載。
「いつまでエクセルを触ってるんだい」という言葉にそそのかされて、フリーランスに。情報誌の制作のほかに、事務所のガレージを改装して活版印刷もはじめる。手フート2台、ハイデルベルグ2台の本格的な印刷工房。
2012年
一念発起。テフート(テキン)を持って浜松にUターン。
戻ってきてそうそう、「Zing Vol.3」に活版印刷工として参加。浜松の面白い人たちとつながりはじめる。
2013年
リッキーくんと宮下さんとでDORPをはじめる。
2014年
「DORP INSIPARTION 2014」のあとにハードリセット。
浜松の魅力的な人、もの、場所を発信しつつ、交流できる場をつくりたいと、日々鍛錬。
2015年
フリーランスに。
フォトグラファー・ライターとして、広告・雑誌の編集、制作にたずさわる。
浜松で2人目の活版印刷工として、修行中。
人に恵まれ、日々、感謝です。